元阪神タイガース横田慎太郎・奇跡のバックホーム単行本を読んでの感想

スポーツ心理


・「奇跡のバックホーム」

・著者:横田慎太郎

・幻冬舎より(2021.05.12)発売の単行本

・ページ数 201 ページ


本のあらすじ

1995年6月9日、東京都生まれ。3歳で鹿児島県に引っ越す。
父親は中日や西部ライオンズで外野手として活躍した横田真之。

小学校ではソフトボール、中学校で野球部に入りピッチャーとして鹿児島県大会に出場する。
高校では憧れの鹿児島実業に入学し、プロ野球選手になるために甲子園出場を目指した。しかし、高校最後の夏の県大会で敗れ甲子園出場の夢は叶わず。
なんとしてもプロになりたかった横田慎太郎は社会人チームには属さずにプロ志望届を提出。

2013年のドラフト会議で2位に指名される。背番号は24。その時の同期は岩貞、梅野、岩崎など23年の優勝メンバー。

2014年の年明けから兵庫県西宮市にあった選手寮「虎風荘」に入る。
2016年の3年目に一軍のキャンプに抜擢。オープン戦で打率.393をマークして結果を残した。
金本知憲監督の下、その年の3月25日の京セラドームでの中日との開幕スタメンに「2番センター」として選ばれる。なかなか結果が実を結ばず4月末でスタメン落ち。体調不良に見舞われる。

2017年2月の宜野座キャンプから無念の離脱後、脳腫瘍と診断される。
18時間に及ぶ大手術と、約半年の闘病生活を終え、虎風荘へ戻る。その頃には育成契約を結び、背番号は「24」から「124」へ。

復帰後元の状態に戻すために練習を重ね、身体と体力は戻るも、視力だけは回復せず球が二重に見える症状が続く。

2019年9月、今シーズンでユニホームを脱ぐことを表明。同月26日には鳴尾浜球場の対ソフトバンクホークス戦で引退試合が行われた。1096日ぶりの公式戦でセンターを守った。その際に飛んできたライナーを見事キャッチし、キャッチャーへノーバウンドでダイレクト送球。これこそが奇跡のバックホームと呼ばれるベストプレーとなった。


この単行本では、学生時代の野球生活から始まり、闘病中の記録、そしてその先の未来に向けて、2019年までの横田慎太郎が感じたことや思いが込められた書籍です。

横田慎太郎 引退後

引退後はアカデミーのコーチのオファーがあったものの、自身の状態から無責任だと感じ、断る。
同じような状況にある人たちの力になることが自分にできることだと考え、講演やYouTubeで精力的に活動をしていた。

しかし2020年9月、今度は脊髄に腫瘍が見つかり再び大阪大学付属病院へ入院。2回目の闘病を終え無事に退院するが、2022年3月腫瘍の再々発が判明し右目を失明した。
23年春に抗がん剤治療を終え、2023年7月18日、脳腫瘍で神戸市内の病院で死去した。28歳で生涯を終えた。

また、2回目の脊髄への腫瘍が発覚した後、22年には再びの闘病生活や引退後を綴った内容が追記された文庫版も発売されている。こちらは別記事にて、後日書評させていただきます。


その後、「奇跡のバックホーム」はドキュメンタリードラマとして放送された。
2023年の9月14日、阪神タイガースの優勝がかかった対巨人戦で、抑え投手の岩崎がマウンドにあがる際、横田が愛した「栄光の架け橋」が甲子園球場に響き渡った。
そういった反響も大きく、2025年11月28日に「栄光のバックホーム」として映画が上映されることが決まった。https://gaga.ne.jp/eikounobackhome/

単行本を読んでみて

元プロ野球選手である父の影響を少なからず受けてきた横田慎太郎は、物心つく頃からすでにプロ野球選手に憧れていたのだそう。しかし、小学生の頃はソフトボール漬け。


不思議だなと思ったのですが、鹿児島県はソフトボールが盛んな土地柄で、福留孝介、大和など鹿児島出身のプロ野球選手はソフトボールをやっていた人がたくさんいると知りました。横田の父も「手首を鍛えるには大きなボールを持たせたほうがいいんだ」と言って進めたそうです。


中学に入学すると野球部に入り、最初はセンター、その後はピッチャーだったそう。その頃は打つより投げる方が好きだったみたいです。バッターとして憧れていたのは「糸井嘉男」。
後に「糸井二世」と呼ばれることになるとは本人もびっくりしたそうです。


そうした憧れの選手や、プロ野球選手になりたいという強い気持ちが、学生時代のきつい練習を耐え抜くことができたなの理由の一つかもしれないなと思いました。
私自身、小学生の頃なりかった職業を思い返してみても見当たりません。日々何をして過ごしていたのかも。。。
目標を持って取り組むことがいかに後に活きてくるかということに改めて気付かされました。


憧れの鹿児島実業での練習は厳しいものだったそうですが、横田は一度も辞めたいと思ったことがないそう。「野球が楽しかったから。」
この言葉を聞いて、「楽しい」と感じることがいかに重要であるか、ということを身に染みて感じました。
また、努力することが好きだった横田は毎日目標を立て、それをクリアしていったそう。

一度もやめたいとは思わなかった最大の理由はやはり、野球が楽しかったことです。

毎日なんらかの目標を立て、クリアしていく過程がすごく楽しかったのです。

このように、いかに楽しんでやっていたのかが分かります。
「すべてはプロに行くために」
そんな大きな目標を立てる決意やそれを達成するために着々と進んでいく姿に心を奪われました。

そんな努力もあり、背番号24として阪神タイガースにドラフト2位で指名され、見事に夢を叶える横田慎太郎。まさに有言実行とはこのこと。努力が報われて本当に良かったと思いました。

しかし、プロの世界は甘くはなかったようです。なかなか一軍での活躍もできないまま、突然の体調不良に見舞われ、「脳腫瘍」と診断されることとなりました。もし自分だったら。
何度も考えましたが、全くイメージがつきません。その後の18時間の大手術とリハビリに関しても。自分なら乗り越えられるだろうか。自信がありません。

横田がそれを乗り越えられたのは、またしても強い目標からでした。

それでも弱音を吐くことなく、なんとかがんばれたのは、やはり「もう一度野球をやるんだ!」という気持ちからでした。

無事に退院し、後遺症で「ボールがすべて二重に見える」症状と戦いながらも、甲子園の舞台に戻るために必死に努力を重ねる日々。そして体力は戻っても目の状態だけが戻らない不安感や焦りから、ついに目標を見失い引退を決意することになりました。
文章からも、悔しい気持ちがひしひしと伝わってきて胸が苦しくなりました。

そして引退試合で起きる奇跡。

そんなことが現実に起こるのか!と心の底から驚きが湧きました。
文章だけでも、自分が実際に見ていたようなワクワクと驚きが伝わってきたので、是非まだ読んでいない方にも味わっていただきたいなと思いました。

何度も読み返したくなる内容でした。

文庫本も発売されており、追記内容があるようなのでそちらも楽しみに読もうと思います。

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